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音MADの歴史その3(~2007年夏)

その2から時を経ること数か月、遂にニコニコ動画がサービスを開始する。

当時はyoutubeやフォト蔵、Amebaなどからの転載動画が主体だったみたいですね。
ちなみにニコ動関連の最古の動画に関してはこちらが詳しいです。皆さんも1回は見たことあるのでは?


Ameba最古の動画↓                       フォト蔵最古の動画↓


smilevideo最古の動画についての動画↓           ご存じ陰陽師(sm9)↓






そして3月の本オープン当初から音MADは投稿されていく。(投稿日時が古い順で検索)
youtube等で既に存在していたキーボードクラッシャーナードコア系の作品、及び「涼宮ハルヒの憂鬱」の谷口を中心としたMADが輸入される。そんな中で、徐々にニコ動初で発表される作品も増えてくることになる。

特に遊戯王MADに関しては1時代を支えたといっても過言ではない。なぜなら俺のターンはまだ終了してな(ry

既にある程度の人気を持っているジャンルが多かったので、ニコニコでの広がりにそう時間はかからなかった。
また、富竹ジロウや「らき☆すた」、外山恒一らも忘れがたい。魔理沙は(ryや患部で(ryのMADを中心に猛威を奮うことになる。その中でもらき☆すたは2009年近くまでその長い人気を続かせていくのであった。犬の(ry

しかしまだ「音MAD」という概念はあまり存在しておらず、リズムのいいMAD、『派生作品』という感じだった。


※参考 :デイリーランキングTOPの音MADを振り返るpart1 週刊ニコニコランキング #1(驚異の富竹無双) 

※参考2:個人的にオススメなこの時期の音MAD↓






MAD動画がニコニコの1大ジャンルとして闊歩していくなかで、TAS動画やアイマス、おっくせんまん、テ二ミュなどをはじめとしたニコニコ動画の基礎となる文化も急速に発達していく。

もじぴったんやきみ死ね、アクエリオンや阿部さんなどなど…書き始めるといとまが着かないので程々にしておきますが、ちょうどその頃に時の仲邑少年もニコニコ動画を知ることになる。
ほどなくして、少しづつ部活の先輩が「スクラップ&スクラップだ!」と叫び始めたり、腐女子の後輩が俺に阿部さんの動画をなぜか勧めてきたりしたことが記憶に残っています。

ちなみにたしか初めて見た動画はこれでした↓


そして組曲『ニコニコ動画』が投稿されることで、いちネット文化としての地位を確定的なものとしていく…


知名度を拡大させていく中で、音MADも広くユーザーに視聴されるようになる。そこからニコニコ発の文化のひとかけらとしての音MADもちらほらと投稿されていった(鉄道MAD、ライアーゲームのキノコゾウリムシ等)

参考:当時のニコニコオールスター 当時の開発者ブログ(ログイン制限懐かしいw) 第1回月刊ニコラン 





いち動画サイトとしてオープンしてからはや数か月。「γ時代(2007年3月6日~2007年6月17日)の猛者」と言われるおばけ動画たちが多数登場したこともあって、動画の総視聴回数は10億回を突破。
プレミアアカウント制度も開始され、ニコニコ動画は少しづつ黒字化()へ向けての一歩を歩み始める。

そうした中で、溢れ出るパンドラの箱の隅のまた隅から、後のニコニコのブームを作っていく3人の男たちが地獄からエスケープし、大変な洗脳をついやっちゃうことになるのであった… DB「そろそろブログ始めようかな


参考:「全ての元凶」マイリスト(ニュトーイさん作成)
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テーマ : ニコニコ動画
ジャンル : コンピュータ

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No title

いまさらですが2007年といえば僧侶シリーズも捨てがたいかと思います。
今週の一言
音MADの歴史
プロフィール

(故)仲邑飛鳥

Author:(故)仲邑飛鳥
見た目はキモオタ頭脳はマジキチ
代表作これといってなし

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